さくらの花が愛でられるようになった由来は、花見自粛強制令後、あちこちで語られていますが、もう少し後期、江戸時代にどんな花見が行われていたかと言うと…
吉宗は、隅田川や小金井などの川沿いに多くの桜を植え、そこに人々が出かけ(させ)ることで堤を踏み固めてしっかりした堤防に作り上げた。これが吉宗の一つの狙いだったと言われていますね。
つまり、花見は、防災(治水)に直結していたわけで…
(もちろん、庶民に娯楽を与えてガス抜きをさせる狙いもあったでしょう)
某都知事は、戦時中はなんとかかんとか、と言っているようですが、”戦後”、空襲で失われた桜を取り戻す為に桜を植える運動が全国で起こった…ことは、忘れているか、そんな地味なことには触れない人生だったかどっちかですが、ソメイヨシノ(の植樹)は、少なくとも戦後は、復興に結びついているし…
そんなことも知らないか、忘れて、自分の都合のいい事だけ思い出してるのかな…
あら、五右衛門だったら、「また一つ余計なものを斬ってしまった」と言うところか…
さて、明日も桜の写真撮りに行こうっと。
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