さて、最後に訪れたのは、ツアーのパンフレットを見るまで知らなかった(つまり、出発の時まで知らなかった)モンテリジョーニの町です。予備知識もなかったし、最後に訪れるところだから・・・って思っていたのですが、何とも小さな町(というか、集落、ですね、これは)で、かわいいというか、時刻が夕方だったせいもあって、物寂しげというか・・・
こんなに小さな町でも、あちこちでキャンティのワインを飲めます。
さて、後で(というか、これを書きながら)調べてみると、このモンテリジョーニは、実はすごく有名な町なようで・・・
ダンテも「神曲」地獄編の中で、ここを“王冠”にたとえています。
とか
『IL POZZO』ミシュランなどにも載ってるそうで、 ランチだけ食べにこの街に来る方々も多いとか。 故ケネディさん達も来たらしいです。
とか ・・・知らなかった(行くまで、町の名前も知らなかったので、当然ですが)
ダンテの言う、“王冠”は、この下のブログの中の素敵な写真(拾いのようですが)を見てくださいね。
王冠のような小さな街・モンテリジョーニ :: りり’s Diary
しかし、実際は、可愛い小さな古い町、というのではなくて・・・
トスカーナ,キャンティー地方の旅?5? | Cross Cultural Communication
1213年から1219年の間に,シエナの町が,宿敵フィレンツェの領地拡大政策から身を守るために作った砦がこの町の起源.この2メートルの幅の城壁の上から,カッシア街道を南下してくるフィレンツェの軍隊がよ …
城壁の所々に立つ塔は全部で14.城壁は約570メートルの長さを誇っている.1213年から1219年の間に,シエナの町が,宿敵フィレンツェの領地拡大政策から身を守るために作った砦がこの町の起源.この2メートルの幅の城壁の上から,カッシア街道を南下してくるフィレンツェの軍隊がよく見えたそうである.この要塞を巡ってこの二つの町は何度も戦いを繰り広げた.
城壁に囲まれた、砦だったのですね。この前に訪れたシエナの、前線基地、とでも言うか。
城壁は、幅2メートルもあって、登って一周できるのですが、僕たちが行ったときは、もう閉園?の10分前くらいで、壁には登れませんでした。残念。
と言うわけで、時刻も時刻だったので、「兵どもが夢の跡」と言うような写真を・・・
そして、夕焼け。
城壁・・・
ツアーだったので仕方が無いですが、ほんの20分くらいしかいられなかったのはもったいなかったなぁ。今度は(今度があるのか?)、ゆっくりワインを飲みながら、シエナとフィレンツェの昔に思いを巡らしたりしたいものですね。
LEAVE A REPLY