さて、ミラノに戻ってきました。(最初に到着したのがミラノ・・・夜遅く・・・でした)
ミラノと言えば・・・もちろん、いろいろあるのですが・・・
これこれ!一時期映画を見まくってた、そのきっかけとなった記念すべき映画がこれ!ヴィスコンティの〈家族の肖像〉、その中のヘルムート・バーガーのこの場面に、しびれたものです。(その後、映画にははまりましたが、違う世界にはまることはありませんでした、念のため)
と言うわけで、ミラノに行ったら、ヴィスコンティにゆかりの何かに触れることができたらな〜って思ってて、もちろん、ヴェニスもその一つではあったわけですが・・・今回は、ちょっと遠いゆかりの(?)スフォルツェスコ城に行ってきました。
これは、彼の居城(!)ではないのですが (居城だった城はミラノ郊外にあります)、14世紀のヴィスコンティ家が(ミラノで権勢を振るっていた時に)作った城で、ヴィスコンティはそのヴィスコンティ家の末裔。城の方は、その後ヴィスコンティ家からミラノの支配権を奪ったスフォルツェスコ家が引き継ぐことになります。
正面の時計塔。時計塔と言っても、城〜要塞の一部ですので、このように攻め上れないような建て方になっていて、よじ登ってくる敵には、上から油だの鉛だのを浴びせたとか・・・
かなりはしょって、中庭。
これ、中の美術館・博物館をかなり巡って疲れ切って外に出てきたところです。
さて、この右の塔の上に紋章があるのがわかるでしょうか?
ちょっと小さいですが、蛇が子供を食べている絵です。さらに・・・
(写真は拾い・・・)
その右手には、こんな紋章が・・・蛇が子供を食べている+その右に十字、ですね。
まず、子供を飲み込む蛇、と言うのがヴィスコンティ家の紋章。いろいろ説もあるようですが、(十字軍の時)サラセン人(=イスラム教徒)を飲み込む図、蛇(または竜)はもちろん、“力”の象徴だということです。
一方、白地に赤い十字が、ミラノ市(当時?)の紋章。イングランドの国旗と同じ聖ジョージ・クロスで、エルサレムに攻め入って、最初に十字の旗を立てたのがミラノ出身の者だったからとか・・・
この辺に詳しかったりします。
wind824
ミラノと紋章
さらに、その右左を入れ替えたのが、アルファロメオ社の紋章(マーク)。なぜかってのは、いろいろ説もあるようで、ガイドさんもよくわからないと言っていました(アルファロメオとヴィスコンティ家にゆかりがあるわけではない、と言う意味)。
上のブログにもありますが、ACミランもインテルも、そのマークは、このミラノ〜ヴィスコンティの紋章にちなんでいるようですね。インテルの方は、ちょっと説明(と言うか、図案)に無理がある気もしますが。
さて、この城の中の美術館には、なんとなんと、あのミケランジェロのピエタがありまして・・・適当に(?)展示してあるし、写真も撮っていい・・・(美術作品の写真はほとんど撮らないので、ご勘弁を)
でも、そんなに人もいないし、中を歩けども歩けども、それらしい表示も案内もないし(何度も、見落としたかと、戻ったり・・・)途中から不安になって、iPhoneでこのブログを見ながら、とうとうたどり着きましたよ。
イタリア・ミラノ スフォルツェスコ城でロンダニーニのピエタを見る
確かに人がいない・・・
ミケランジェロが、死の数日前まで彫り続けていたという、最後のピエタ。そして、ある程度彫ったところで、全く別のピエタに彫り直した(まだ彫ってないところから彫り直した・・・一部、前のものの輪郭が残っていたりします)という、ピエタ・・・
すごく優しさ・・・もしかしたら諦観というか、自分も死が近いことを悟った上での、死者(キリスト)とその母親の気持ち・・・が伝わってくるような作品でした。
こんなダビデとは、もう、全く伝わってくるものが違う・・・やっぱり、見に行ってよかったです。
あれ?タイトルに、ミケランジェロを付け加えなくっちゃ!
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