久しぶりにダイアン・キートン見ましたね。
と言っても、2007年の映画だから、もう、4年以上前の映画になるのか・・・
ダイアン・キートン、なんと言っても、ウディ・アレン作品に出てたくらいだから・・・あの、ウディ・アレンとつきあっていたくらいだから・・・年を取ったら、こんな母親(役)になるだろうな、ってのが想像できる様な役どころ。
邦題は『恋とスフレと娘と私』で、これはこれで、まあ、分かるんだけど・・・最近はやりの、英語を片仮名にしただけのタイトルよりはずいぶん分かりやすいんだけど、原題の”Because I said so”の方が、ストレートに分かる?三人の娘の母親役のダフネ(ダイアン)の口癖?“こんな母親”が、“私が言ったとおりでしょ”みたいに言ってる様子が伝わってきますね。
ダイアンにこだわっているのは、まあ、すごく聡明というか知的というか、だから、というのがもちろんなんですけど、ああ、もう、そんな年頃の娘の相手の心配をする年になったんだ、というのが、ちょっと感慨深くて・・・寅さんが、男はつらいよシリーズの途中から、さすがに自分が恋愛をする年では無くなったような・・・
・・・いや、ちょっと違うか。ダフネ(ダイアン)、結局恋愛するしね、自分も。
goo映画の紹介文を引用すると
若い頃に夫を亡くし、女手ひとつで3人の娘を育ててきたダフネ。母と三姉妹は親友のように仲が良く、連れ立って出かけることもしばしばだ。そんなダフネ唯一の気掛かりは、いまだ結婚の決まっていない三女のミリー。
これから、ダフネは、ミリーのためにネットというかサイトというかに広告を出して、娘の相手を捜すことになります。そして、いろいろあって、ミリーが、“また”母親の言うとおりにさせられている、と気づいて、二人は決定的に断絶・・・でも、でも・・・
なぜ、そんなにミリーの相手のことを心配するかというと、それは、まあ、元々の性格がそうで、悪く言えば過干渉の母親だったのでしょうが、自分の経験(離婚して一人で三人の娘を育てた)から、娘にその轍を踏んで欲しくない、という親心。
もちろん、それがミリーにとっては、また”because I said so!”、うるさい母親、自分を支配したがる母親、の繰り返しに思えちゃうんでしょうけどね。
この母親の思いというか、娘には幸せな結婚をして欲しい、という思いは、実はダフネという名前に現れているようですね。ダフネと言えば・・・
金の矢で射られたアポローンはダプネーを求愛し続ける一方、鉛の矢を射られたダプネーはアポローンを頑なに拒絶した。追うアポローンと逃げるダプネー、つ いにアポローンはペーネイオス河畔までダプネーを追いつめたが、ダプネーはアポローンの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの身を変える事を強く 望んだ。
というわけで、まあ、男性恐怖とでも言うか、そのコンプレックスをダフネコンプレックスと言ったりするわけですね。
そのために、娘にはなんとしても(自分の眼鏡にかなった)いい相手と幸せになって欲しい、という思いが強くなりすぎて・・・もちろん、それがミリーにとっては、また”because I said so!”、うるさい母親、自分を支配したがる母親、の繰り返しに思えちゃうんですけどね。
娘に対する母親の思いってのは想像するしかないんだけど、“自分の子はいつまで経っても子ども”という、いい意味での母親の思いは・・・
(多分ガールスカウトにむりやり入れられたときの話になって)、「10才児みたいに扱うのはやめて』というミリー(と、二人の姉)に対して、「子どもへの思いは、断ち切ることはできない。」「歩き方や言葉を教えても文句は言われないけど 成長した子供が崖に向かったときは? 黙って手を振れっての?」というダフネ。
これは、もちろん娘に対するだけでは無くて、子供に対するすべての母親の思いなんでしょうね。
(やれやれ)
あ、でも、ダフネという名前にかかわらず、ちゃんとダフネはアポロンを見つけて・・・続きは、映画を見てくださいね。
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